献堂100周年
2025年、甲府カトリック教会の聖堂は献堂100周年を迎えました。
甲府カトリック教会の聖堂建設
(『山梨県カトリック宣教100年誌』より抜粋)
1922年(大正11年)9月ブーブ神父は新しい聖堂建設のためドルワル神父の作った設計図を取り出して、信者と相談した。 意見はまちまちであった。三吉町(現 相生2丁目)の土地にそのまま聖堂を建てるのは無理である。この土地は教会のためだけでは、広すぎる。 しかし学校か病院を建てるには、狭すぎる。おまけにこの土地は低くて何度も大水に遭っている。 いろいろな意見を聞いて上で、ブーブ神父は今の土地を売って駅から遠くない横近習(現 中央2丁目)にある570坪の土地を買う旨を土地買替えの許可願いを出した。 それは1923年6月(大正12年)のことであった。
この年9月1日に関東大震災が起こり、土地売買のことは一時延期せざるを得なくなった。 甲府教会の土地の話は、1924年(大正13年)になり再び検討され始めた。 レイ大司教は、教皇使節ジョルディーニ司教とともに山梨に来訪し、買い替えの許可を与えた。
このような経緯から、1925年(大正14年)ドワエル神父の計画に基き聖堂の建設を始めた。 入り口に向かって右側、正面に広い窓が3つあり、石の厚い壁と急勾配の屋根。 中の天井にはフランスの百合の絵が描かれていた。 内陣には、8角形を半分にした形式で6つの木の柱があって、祭壇はゴシックスタイル畳敷きであった。 司祭館も完成し小聖堂に使っていた部屋は信者の集会の部屋となった。
1925年(大正14年)11月29日待降節第一の日曜日に新しい甲府教会の献堂式が行われた。 この教会は無原罪の聖母に捧げられた。 山城からも松本からも多くの信徒が集まり、聖堂の中に入ることのできないほどだった。
1928年(昭和3年)5月に甲府教会にシャンボン大司教を迎えて堅信式が行われた。 式に先立って聖堂内の正面円柱上に置かれた6聖像が祝別された。 聖心のイエズス キリスト、ルルドの聖母マリア、聖ヨゼフ、聖女フィロメーナ、小さき花のテレジア、福者トマス籠手田の像である。 ブーブ神父が選んだ6聖像の中でも就中(なかんづく)、日本人のトマス籠手田の像が目を引いた。
彼は、肥前(長崎)平戸でゼロニモ籠手田安一の長子として生まれ受洗した。 祖父の安経は教会活動に尽くした人であり、父安一は1599年(慶長4年)3月 時の国主松浦隆信の葬儀に参列しなかったという理由でキリシタン宗門破棄を迫られ、一門900人を率いて佐奈佐に移住した。 トマスは熱心な布教活動にあたり1619年(元和5年)11月27日 仲間10名と共に斬首刑を言い渡された。 40才であった。 彼の一族には多くのキリシタンがおり殉教者も多い。 トマス籠手田も殉教を熱望しその生涯は徳の連続であった。

